簡易裁判所充実の方向性

簡易裁判所充実の方向性(事物管轄等の引き上げと簡易裁判所の現状に関わって)

1 はじめに
 全司法労働組合は、書記官・事務官・家裁調査官・速記官など裁判所の職員を組織する労働組合です。私たち全司法は、裁判所の実務を担う職員の立場から、司法制度改革審議会が2001年6月に政府に提出した「司法制度改革審議会意見書-21世紀の日本を支える司法制度」(以下、「意見書」という)がもつ「民主的司法」の実現のための積極的な改革の方向性については支持をしています。
 この「意見書」では、司法制度改革に関する様々な問題点について触れられています。簡易裁判所に関しては、その機能の充実が提起され、簡易裁判所の事物管轄等の引き上げなどの問題が指摘されています。簡易裁判所の事物管轄等の引き上げは、現在の簡易裁判所からの要請というよりも、むしろ地方裁判所の「専門裁判所への特化」と「迅速」処理の視点からすすめられ、また、「軽微な事件を簡易迅速に解決することを目的とし、国民により身近な簡易裁判所の特質を十分に活か」すという改革の理念と相反する部分も生じてしまうのではないかという懸念を抱かざるを得ないものとなっています。
 簡易裁判所のそもそもの設立理念は、後にも述べるように「市民に最も近く、親しみやすい裁判所」、「市民の、市民による、市民のための裁判所」にあると考えています。事物管轄等の引き上げに関しては、これまでの簡易裁判所の理念及び機能、諸手続(支払督促・調停・少額訴訟など)の利点を形骸化させることなく、より充実させる方向でなければならないと考えています。そのためには、簡易裁判所職員の大幅な増員、庁舎施設の充実・整備、研修制度の充実をはかることが重要であり、事物管轄等の引き上げ等の前提であることが認識される必要があります。
 本論稿は、簡易裁判所の事物管轄等の引き上げに関わっての全司法としての立場を明らかにするとともに、現在、民事事件を中心に簡易裁判所の抱えている現状や問題点についてもふれながら、簡易裁判所の充実の方向性を示していきたいと考えています。

2 簡易裁判所の理念と現状
 簡易裁判所は、少額、軽微な事件を簡易な手続により、適正迅速に処理する第一審裁判所として設立されたものです。その理念は、一言で言うと、「市民に最も近く、親しみやすい裁判所」といえます。
 1998年1月から施行された改正民事訴訟法による少額訴訟手続の導入、その後の少額訴訟のノウハウを取り入れた市民型通常訴訟(準少額)の運用によって、簡易裁判所の「市民に最も近く、親しみやすい裁判所」という理念は、さらに達成されてきているのではないかと考えています。
 2002年2月からは特定調停制度が導入され、日本の長期不況の経済状況の影響もあってか、同事件の事件数は大幅に増加しています。このようなことからも、市民生活のうえにおいて、簡易裁判所は不可欠の存在となっているものと言えるのではないでしょうか。
 利用者から期待をされている現状をふまえて、今、全国津々浦々にある簡易裁判所の職場では、職員が自主的な勉強会を開催し、定型訴状や答弁書のモデルをはじめとする各種手続用紙を作成して、備え置いたりするなど、利用者のニーズに応えるために日々奮闘をしています。

3 民事事件をめぐる簡易裁判所の現状とそこに潜む問題点
 簡易裁判所の利用者の多くが、法律知識に詳しくない市民であることから、簡易裁判所には様々な問い合わせがあります。しかし、職場における職員の配置は、貸金等業者の事件を中心とした事件を処理する分しか配置されていません。つまり、数字で表われるものを基準にしか配置されていないために、数字に表れない問い合わせや相談業務に対応するには不十分な人員態勢が続いています。
 さらに、少額訴訟手続が導入され、書記官をはじめ関係職員には、手続教示など、当事者へのきめ細かな対応が要求されるようになりました。しかし、それに対しても職員の増員はほとんどないまますすめられています。このことは、特定調停制度の導入にあたっても同様で、職場の繁忙化がすすむ結果となっています。
 人員だけではありません。特定調停事件の増加とともに、民事訴訟事件数も大幅に増加していますが、事件数の増加に見合うだけの施設が不足している状況にあります。法廷の確保に困難が生じ、全国的にみると、少額訴訟の訴え提起から第1回口頭弁論期日まで2か月を要する庁もあります。

4 現状に対する最高裁の考え方
 新制度の導入、事件数の大幅な増加に対して、最高裁は、職員の増員や施設の増設・充実を十分に行わないまま、いわゆる「一丁上がり式」の裁判を現場に押しつけてきています。
 例えば、少額訴訟や市民型通常訴訟について、分刻みの期日指定、処理を要求しています。しかし、このような少額訴訟や市民型通常訴訟については、当事者の話をじっくりと聞くことにより、問題点の所在が明らかになり、解決の方向性を見出すことができるものであって、そういう点からもこれらの手続や制度は、利用者の支持が得られてきたものです。短時間で通り一遍の事務処理を行うことにより、これではまるで、原告の言い分だけを聞いて発布する支払督促制度と同じではないかという声が職場からあがっています。
 結局のところ、国家予算に占める裁判所の予算が増やせない中で、司法制度改革という威勢のいい掛け声だけに終わり、不十分な態勢はそのままで、しわ寄せだけが利用者・市民にいくというような状況にあります。

5 簡易裁判所の事物管轄等の引き上げについて
 以上のような簡易裁判所の状況ですが、「意見書」では、簡易裁判所の事物管轄については、経済指標の動向等を考慮し、訴額の上限を引き上げるとともに、少額訴訟手続の訴額の上限を大幅に引き上げるということが述べられています。
 事物管轄の訴額の引き上げについては、簡易裁判所が、「軽微な事件を」、「簡易迅速に解決する」ことを目的として、国民により身近な存在として設置されているという設立趣旨をふまえて、検討することが必要であると考えます。一般的には、訴額が高くなれば、争訟性も増し、事案の複雑困難度も増すものであることは考えられますので、金額的に上限を設けることについて、一定の合理性があることは確かです。しかし、必ずしも訴額の多寡のみによって、簡易裁判所で解決をはかる事件であるかどうか論ずるべきものでもないものと考えます。例えば、不動産を目的とする訴訟においては、訴額の算定の基準となる固定資産評価額が時価と相当隔たっているために、不動産の実質的な価額が相当高額であり、内容的にも複雑となっている場合が多くあります。このため実際の訴訟現場での運用では、地方裁判所に申し立てる運用や、簡易裁判所から地方裁判所へ移送する運用が広く行われています。
 少額訴訟手続は、「一般市民が抱える比較的少額の紛争を、訴額に見合った経済的負担で、簡易迅速に解決するための制度」という趣旨で、創設されたものです。この手続については、実際上、相談・受理から終局にいたるまで書記官がその手続に深く関わっています。それだけに、この制度の活用如何は、手続教示のあり方をはじめ、その運用を支える書記官をはじめとする職員の態勢と法廷などの施設の充実がどこまでなされるかにかかっているといえます。また、市民に対しても、この制度が一般的に周知されることも必要です。従って、少額訴訟手続の訴額の引き上げについては、その利点を活かした上で、引き上げるにあたって十分な広報(申し立てる側に少額訴訟のための最低限の知識)、ふさわしい事件の振り分け、人員や施設の充実が必要となります。

6 簡易裁判所の裁判官・裁判所職員の大幅増員と施設の充実
 簡易裁判所における人員や施設の充実に関してですが、先にも述べたとおり、簡易裁判所においては、現在でも増加の一途をたどる事件の処理に追われており、現在の人員では、事物管轄等の引き上げには対処できません。
 現在全国の簡易裁判所が受理する民事通常事件数は年間で30万5711件(2001年)にものぼっています。仮に、事物管轄の引き上げが、150万円になると地方裁判所の事件のうち約4分の1の事件が、190万円だとすると地方裁判所の事件のうち約3分の1の事件が、簡易裁判所に移行すると見込まれます。
 事物管轄の引き上げ等にあたっては、簡易裁判所で事件を担当する裁判官・書記官、それを支える司法行政事務を担当する事務官等の大幅な増員が必要です。また、全国の裁判所には、裁判官が常駐していない庁や書記官が1人しか配置されていない庁があります。それらの簡易裁判所への人員面での手当も必要です。
 簡易裁判所の施設については、事物管轄等の引き上げによって法廷の設置や整備が必要となります。事件増にともなう法廷等の増設はもちろんのこと、当事者のプライバシーに配慮した待合室の設置や当事者が利用しやすいスペースやレイアウトが必要です。また、職員の増員にともなう執務室の増設も不可欠となります。利用者や職員の利用しやすい施設の充実をはかることが必要となります。

7 簡易裁判所の窓口業務の充実
 簡易裁判所は、市民により身近な存在という点からも窓口業務が大変重要です。「意見書」の提起も受け、簡易裁判所における司法書士の訴訟代理権が制度化されました。将来的な弁護士の増員の方向性とあわせて、今まで裁判所に持ち込まれなかった事件の掘り起こしから事件数の増加が予想されます。また、それによって、対立当事者となった市民が裁判所に来庁し、相談や手続の説明を求めることも予想されます。
 以上のことから、簡易裁判所における窓口業務を十分に担える態勢の整備が必要となります。この点からも先ほどから述べている人員の手当や施設の充実が必要となります。他の省庁や地方自治体の一部では、窓口業務が民間委託されている例も見られますが、国民の権利・義務に深く関わる裁判所の窓口業務にはなじまないものと考えます。裁判所の窓口には、裁判実務全般に精通した裁判所職員の配置が必要です。
 簡易裁判所には、裁判手続に慣れていない市民の方々が多く来庁されます。その方々の疑問や要望に的確に対処するためには、裁判手続全般に精通した裁判所職員による対応が求められます。そのためには、職員に対する研修の充実も裁判所内部で必要となってきます。

8 簡易裁判所の大半を占める立替金等事件について
 現在、簡易裁判所の民事通常事件のうち、立替金・求償金・貸金事件の占める割合は、2001年の申立事件総数の71.9%になっています。また、同年の終局事由別割合では「欠席判決」が全体の33.3%を占めています。簡易裁判所が、「市民の、市民による、市民のための裁判所」という原点に立ち返ったときに、現状において大半を占めるこれらの紛争については、単に事件を処理するというだけではなく、どうして事件が発生するのかまでさかのぼって解決の方法を考えていく必要があります。これらの事件に関する問題を根本的に解決するには、裁判所をはじめとした司法による努力のみでは到底不可能です。広く市民もしくは消費者のための金融行政のあり方を見直すとともに、実効性確保のための立法による解決も視野に入れた検討をすすめる必要があるといえます。
 このような事件で被告とされた側の「司法アクセスの問題」があります。つまり、合意管轄や義務履行地(債権者住所地)のため、被告の応訴の機会を奪う現状があります。被告側の実質的な裁判を受ける権利の保障に配慮した移送の要件の緩和の検討もなされることが必要ではないかと考えます。
 日本経済の悪化により、多重債務者が激増しています。しかし、これは、単に借りる側個々人の問題として済ませることはできません。貸し手側の「過剰融資」、「高金利」など社会的な問題にもなっています。行政による事業者規制だけに頼るのではなく、消費者金融と販売信用等の信用供与取引全般に共通する、実効ある統一的・総合的な消費者信用法の立法措置が必要となっているのではないかと考えます。

9 これからの法律家の役割と使命(とりわけ司法書士にのぞむこと)
 2003年4月から、司法書士にも簡易裁判所の民事事件に限り、代理権が付与されることになりました。この機会に、私たち裁判所職員の側からも司法書士のみなさまには、ぜひお願いをしたいことがあります。それは、依頼をされた事件を的確に処理していただくことはもちろんのことですが、司法制度そのものにも、これまで以上に関心を持っていただきたいということです。そのうえで、「町の法律家」として、本当に事件の解決を阻止しているものは何かを探っていただきたいということです。抽象的になりますが、事件の解決を阻害しているのは、意外とそれは事件の相手方当事者やその代理人ではなく、司法制度そのものにあるかもしれないということです。そのような観点から今後、司法制度についても率直に意見交換しあい、知恵を出し合えればと思います。そして、次の世代に誇れるような利用しやすい司法制度の構築をはかっていければと考えています。

10 さいごに
 当事者・利用者にとって、それぞれの紛争は、その額の多寡や事案の複雑困難性に関わらず、その後の人生を左右しかねない大きな問題です。簡易裁判所の取り扱う事件数は膨大な件数を数えますが、その処理の仕方が、いわゆる「一丁上がり」的な裁判では市民の方々の期待に応えられるものとはなりませんし、不信感だけが募ることにもなりかねません。一件一件がおろそかにされることなく、解決されるためには、簡易裁判所の人員面や施設面での充実がはかられ、事物管轄等の引き上げ、事件数の増加によっても、より充実した態勢で事件処理に臨めるようにすることが何よりも重要であることを重ねて指摘しておきたいと思います。

                 (全司法労働組合中央執行委員・坊農正章)
「法と民主主義」11月号に掲載




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